伊能忠敬は、「大日本沿海地図」を1821年9月4日に完成させました。
上総国山辺郡小関村(現・千葉県山武郡九十九里町小関)に生まれ、江戸に出て高橋至時の弟子となり天体観測や測量の勉強をしはじめたのが、50歳の頃でした。
その後、蝦夷地から始まり第十次測量の江戸府内を行い、地図作成作業中に弟子たちに見守られながら満73歳の生涯を終えました。
全国測量の旅に出かける際、伊能忠敬は安全祈願のために富岡八幡宮(東京都江東区)に必ず参拝していたといいます。
徳山毛利藩が調べたところによると、伊能忠敬は観測中、かぶら、大根、人参、せり、鳥、卵、長いも、蓮根、くわい、豆腐、菜、菜類、椎茸、鰹節といったものを好んだそうです。
忠敬は、全国を巡りいろいろな食べ物を口にしたでしょうが、お雑煮は故郷の『はば雑煮』だったんでしょうかね?
観測中に好まれたものを見ると、江戸風だったんでしょうか?
短期旅行の海外の時でさえ、「家庭の味」が恋しくなる私からすれば、長期にわたる測量の旅をしていた忠敬は、なお更「家庭の味」が恋しかったのではと勝手に想像してしまいましたp(´⌒`q)
「はば雑煮」とは、千葉県の九十九里、山武、匝瑳近辺でよく食べられているという「はばのり」を使った雑煮です。
磯の香りがたっぷりで、漁師町ならではの雑煮です\(^ー^)/
参考 → 千葉のはば雑煮【ご当地雑煮】
コメント